2012-06

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前途に光



『この際ハッキリ言ってやる。そいつはムダな努力だ。―お前じゃ俺を倒せねぇ』


冬の冷たい風に頬を打たれながら、黒子が青峰の言葉を頭の中で反芻する。
完膚なきまで、徹底的にしてやられた。まるで歯が立たなかった。
あれほど入念に培ってきた努力の芽が、残酷なくらいに容易く毟り取られた。微塵ほどの容赦もなかった。
それが彼の強さだと、わかってはいたけれど。
黒子が悔しげに、薄い唇をきゅっと噛み締める。


―青峰大輝。
帝光中学のバスケ部に入部してまもなく、彼は黒子の憧れの存在になった。
1年で、入部してすぐさま一軍スタメン入りを果たした、才能に溢れた選ばれた1人。
とても手の届かない遠い存在だった。
それでも、少しでも彼のようになりたい近づきたいと思い、黒子は毎日部活が終わってからも1人、第4体育館で黙々と練習を続けた。
だから、そんな青峰の方から声を掛けられ、毎日一緒に練習するようになった時は、天地がひっくり返るくらい嬉しかった。本当に夢のようだった。
何の変哲もない穏やかな日常が、一変した。
日々がいきなり輝き出したのだ。
さらに赤司にも認められ、一緒に試合に出るようになると、ますます黒子は真骨頂を発揮した。
絶妙のタイミングで出したパスを青峰が受け、見事なダンクを決める瞬間、黒子の胸は喜びで弾んだ。何よりも満たされる瞬間だった。
黒子にとって青峰の存在は、名実ともにまさしく『光』だったのだ。
――が。
とどまるところなく才能を開花させ、進化し続ける青峰のバスケは、やがて影の存在を必要としなくなっていった。
彼の信じるものは、もう自分以外なくなってしまったのだ。
天才プレイヤーの孤独。
だが、黒子にそれが理解できよう筈もなかった。
自ずと、自分の力の限界を思い知った。
それでも、もう一度、あの大きな拳と自分の拳を合わせて欲しくて、懸命に追いかけた。待ってはくれない背を、ただ焦がれてついていった。
だが。
パスを受けてくれなくなった青峰の傍でバスケを続けることは、もう苦痛でしかなかった。
そして、青峰の影でなくなった黒子は、同時に、帝光バスケ部での居場所をも次第に失っていった。
赤司にそれを通告される前に退部を決めたのは、自己防衛のためだったろう。
テツヤはもういらないよ、と宣告されてからでは、二度と立ち上がることが出来なくなると気付いていたから。
それにこれ以上、大好きだったバスケを嫌いになりたくはなかった。

逃げるようにバスケを離れた時、胸にあったのは、微かな安堵と、虚しい解放感と、果てのない無力感だけだった。
悔しさはなかった。涙もなかった。
何も無かった。
それが逆につらかった。

青峰という光を失い、バスケをやめ、黒子の日々は輝きを失った。
自分の存在が、今まで以上に希薄に思えた。
もう誰も、僕を見ない。見つけてくれはしない。
ぼくはもう、影でさえないんだ。




それでも。



それでも。
ずっと、
胸で燻り続けていた願いがあった。





『ただもう一度。青峰君が笑ってプレイする姿を見たい』





あんなにバスケが大好きだった青峰の、楽しそうにプレイをする姿をもう一度。
どうしても見たかった。






ウィンターカップ初戦。対・桐皇戦。
後半が始まる前の10分間のインターバル。
黒子を捜しに来た火神に、黒子はしんみりと青峰とのいきさつを話して聞かせた。
話したところでどうなることでもないし、ましてや、相手は今まさに戦っている敵チームのエースだ。

何寝ぼけたこと言ってやがる、そんな場合か!
わかってんのかテメー、そいつは今、俺が必死で戦ってる相手なんだよ!
笑ってプレイする姿が見たいだぁ!? ふざけてやがんのか!?

そう怒鳴られてもおかしくない筈だった。
言ってしまってから、黒子も、内心しまったと思った。
だが、実際の火神の反応は、黒子の予想とは全く相反したものだった。
火神は、ただ静かに黒子の話に耳を傾け、そして、こう言ったのだ。
「俺たちが勝ったところで、あいつが変わるかどうかなんてわかんねー。ただ、負けたら、それこそ今までと何も変わらねぇ」
言って、黒子に大きな背を向ける。ウインドブレーカーが風に靡いた。
「俺たちに出来んのは、勝つために全力でプレイすることだけだろ?」
黒子が、その言葉にはっとなる。
そうだ、確かにその通りだ。
言われてみれば、簡単なことだった。
火神が言うと、不思議とそう思える。
そんな単純なことで、今まで悶々と考えを巡らせていたのか。
思えば、自然と黒子の口許が持ち上がった。
(―そうだ、勝つんだ。今は、それだけだ)
勝てば、きっと答えは自ずと出る。
その代わり、火神の言う通り、もし負けたらそこまでだ。
今までと何も変わらない。変えられない。
上げた黒子の眼差しの向こうで、冬の太陽が鮮やかに火神の背を照らし出す。
頼もしいエースの背中。
微笑む黒子の瞳が、だが次の瞬間、僅かに陰った。
無意識に、火神の背を青峰の背とダブらせてしまったのだ。
強すぎる光の前では、影は存在を失われる。
影をも一緒に、強い光の中へと取り込んでしまう。
―いつか、そうなってしまうんだろうか。火神も。
辺り一面をその強い光で包んで、影の存在を消し去ってしまう、苛烈な光源になるのだろうか。



嫌だ、それは。


消えたくない。
ずっと一緒に戦いたい。
共に在りたい。
火神君と。



(火神君…)



心の中で無意識に呼んだ黒子の声に、ふいに火神が振り向いた。
「あ?」
「えっ…」
突然振り向かれ、虚を付かれたように驚く黒子の顔を見て、火神がいぶかしむように眉を寄せる。
「何だよ、呼んでおいてびっくりすんな」
「僕…ですか?」
呼びましたかと首を傾げる黒子に、火神の顔がますます怪訝そうになった。
「おい、何すっとぼけてんだよ。今、呼んだだろ?」
まさかお化けじゃねえよな?とでも言い出しかねない火神を見つめ、黒子もまたむぅ…と眉を寄せた。
確かに呼んだ。けど。
声には出していない筈だ。

(…どうして聞こえたんだろう…)

心の叫びが。
決別したくないというささやかな願いが、勝手に声をあげたんだろうか。
思うなり、黒子の胸の内が、突如せり上がってきたものにぐっと詰まった。
名前のつかない感情が込み上げてくる。
(……っ)
これは、たぶん。ずっと以前に胸の奥に閉じ込めてしまった想いだ。
振り向いてもらえない孤独。
上げたまま、合わされることなく、宙にとどまった拳。
行き場のない苦しさだとか、哀しさ。淋しさ。
そして、力の無い悔しさ。
だけど、どうして今になって。
どうして、今になって、溢れてくるんだろう。
それも、いきなり。
微かに、ほんの微かに黒子の顔が歪んで俯いた。身体の横で小さな拳がきゅっと握られる。
一瞬のそれを見逃さず、火神がぴくりと片眉を跳ね上げた。
「黒子?」
「火神君…っ」
名を呼ばれ、軽く小走りになって、黒子が目の前の大きな背に追いついた。
そのまま、火神の身体に抱きつくように両腕を回す。
いきなりしがみついて背に顔を埋められ、火神がぎょっとしたように肩越しに黒子を見下ろした。
「なっ、黒子…! どうしたんだよ、お前…!」
が、身長差のある黒子の顔は、火神の肩より遥か下方にあって覗き込むことさえままならない。
「おい、黒子」
「…何でもありません」
「何でもねぇなら、顔見せろコラ」
「や、です」
「嫌じゃねえよ。つーか、ホールドすんな、動けねぇだろ」
「だったら、動かないでください」
「って、お前な…!」
火神の両腕の上から抱きついて、黒子が広い背でくぐもった声を漏らす。
思いがけず強い力で拘束され、火神がやれやれと嘆息し、眦を下げた。
「しょうがねーな、ったく」
黒子の腕に火神の手が重ねられ、ポンポンと軽く叩く。緩めろよと催促され、黒子が僅かに腕の力を抜いた。
本気になれば細い腕を解くぐらい造作ない筈なのに、それでも自由にさせてくれる。
そんな火神のやさしさが黒子の胸に染み入る。
「…背中で泣かれると、気になんだよ」
ぼそりと言って、黒子の腕を解いて、火神が身体の向きを変える。
そして黒子と向き合うと、小さく震えている身体を腕の中へと包み込んだ。ぎゅっ…と強く抱きしめる。
「火神君…?」
「肩、冷えるだろバカ」
既に冷えてきた肩を暖めるように抱き包み、火神が促すように軽く黒子の背を叩いた。
「泣いていいぜ。今だけな」
「火神く……」
「俺の前で、ガマンすんな」
後頭部に大きな掌が添えられ、厚い胸にさらに引き寄せられる。体格差のある黒子の小さな身体は、そこにすっぽりと収まってしまうのだ。
あたたかい胸に顔を埋めて、黒子がぎゅっと固く目を瞑る。歯を食い縛って声を殺した。
「………っ」
ずっとつらくて、苦しかった。
誰にも言えず、ただ、自分の気持ちを無理に閉じ込めた。
泣くことも出来ないでいた。
だから、余計に苦しかった。
だけど、今。
そんな悔しさも、つらさも、苦しさも、背中を宥めるように撫でてくれる大きな手が和らげてくれる。
腕を回し、黒子が、火神のユニフォームの背をぎゅっと握り締めた。
「…あったかいですね、火神君は」
「そっか?」
「あったかいです…」
重ねて言って、火神の胸の上で目を細める。
やさしく髪を撫でられて、なんだかいつもと違う火神が、ひどくくすぐったく思えた。
火神のあたたかさが、胸の奥にまで染み込んでいく。心地よい。目を閉じる。
心がほぐされていく。

誠凛に来て良かった。
もう一度、バスケを好きになれて良かった。
火神に出逢えて、本当に良かった。
心から、そう思う。

やがて安堵したようにほっと息をつくと、火神を見上げて黒子が言った。
「それにしても。火神君って、おかしな人ですね」
「は…!?」
「大分変わってます、やっぱり」
「やっぱり、って何だよオイ!」
言われように、腕の中の黒子を見下ろし、火神が目を三角にする。口調は、もうすっかりいつもの黒子に戻っていた。
「そんな理由か、って言わないんですか?」
「あ?」
「今まさに戦ってる敵のことをそんな風に言われて、怒らないなんてどうかしてます」
「はぁ!? つーか、お前なぁ…!」
盛大に眉間を寄せ、そこに深い皺を刻んで、腕の中の黒子に火神が怒鳴る。
「テメーがヘコんでたみてーだから話聞いてやっただけだろ! それが変人扱いたぁ、ヒドくねえかコラ!」
顔面を近づけてがなる火神を、いつもの涼しい顔で見上げ、黒子がしれっと言った。
「へこんでません」
「嘘つけ、明らかにヘコんでたじゃねえか!」
「…ヘコんでません」
「ったく、とことん負けず嫌いだな、お前!」
いっそ感心するぜと吐き捨て、火神がぐいと黒子の両肩を掴んで腕の中から解放する。
そして、くるりと回れ右して身体の向きを変えた。
場外にある時計を見上げる。
そろそろ時間だ。


インターバルに入った直後。
ちょっと表の空気を吸ってきます、と言い残して出て行った黒子は、言葉の通り、冷たい冬の外気の中、1人ぽつんと佇んでいた。
その背が、いつもよりやけに小さく見えた。
(…それが、堪らなかったんだよ。1人ベンチで小せぇ肩を震わせて、タオルで顔を隠して泣いてた時も…)

俺はただ、泣いてるお前を見たかねーんだ。それだけだ。
あんな苦しそうな顔で泣いてるお前を見んのは、もう最後にしてえ。
してやりてえ。絶対に。

黒子の強さは、もう充分に知っている。
見かけによらず、タフで強靭な心を持っていることも。
それが、実は諸刃の剣であるということも。
だからこそ、強い支えが必要なんだということも。

「で。もういいのか?」
「大丈夫です」
「そっか。ま、泣きべそかいてちゃ、戦えねーからな」
からかうように言ってやれば、むっと黒子の唇が結ばれる。
強気の表情。
今の今まで火神の胸にしがみついて、声を殺して泣いてたなんて。
きっと誰も信じない。

「そろそろ時間だ、行くぞ。グズグズしてっと置いてくぜ」
「…はい」

火神の台詞に、黒子が心なしか小さい笑みを浮かべた。
置いてくぞと言いながら、いつも火神は待ってくれる。
猛然と後ろを顧みることなく突き進みながらも、必ず黒子が追いついてくるのを信じて待っていてくれるのだ。
だから、強くなれる。一緒に。
共に成長していける。


青峰の『影』でいた時は、追いかけるばかりだった。置いていかれまいと必死だった。
他を寄せつけない、圧倒的な強い『光』。
そんな青峰にとって、火神の光は、確かに淡く感じられたかもしれない。
だが今、黒子が再び得た『光』は、相手を灼きつくすようなそれとは違い、同レベルの光源と熱量を持ちながらも、他者を包みこむ、大きくてあたたかいそんな『光』なのだ。



「おし、後半も全力で行くぜ。勝つのは俺たちだ!」
「わかってます。負けません」
「ったりめーだ!」
「はい…!」


行くぞと言って、笑顔の火神に腕を引かれる。
その痛いほどの力強さが、黒子にとって、今はただ、たまらなく嬉しかった――。


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「不感症なんです」(火黒)



部活帰りのマジバで、13個めのハンバーガーにまさにかじりつこうとした、その瞬間。
問題の発言は成された。

「…あ?」

口をあんぐり開けたまま、火神が視線だけを黒子に移す。
あまりの衝撃の発言に固まる火神に、どうやら聞いていなかったのかと勘違いしたらしい黒子が重ねて言った。

「僕、不感症なんです」

いや、聞いてねえし、そんなこと。
しかもニ度も言うこっちゃねえだろ、こんな店の中でと思いながら、火神がぴくりと片眉を跳ね上げる。
つーか。おい、待て。
いきなり、そりゃあ何だ。
衝撃のカミングアウトに、思わず頭の中が真っ白になる。
とりあえず落ち着け俺と、ぐいっと一気に飲んだコーラは、続いた黒子の言葉に思いきり噴き出した。


「青峰君に言われました」


「…ぁあ!? ゲホッ、ゴホッ」
「大丈夫ですか、火神君。制服がコーラでびしょびしょです」
「知ってるよ! つーか、なに冷静に言ってんだ、誰のせいだっての!!」
「…僕ですか?」
きょとんとしながらもタオルを投げて寄越す黒子を、当たり前だろ!と睨みながら、こぼしたコーラを火神がごしごしと拭き取る。
やれやれ。まったく。何だってこんな目に。
ぜってえ染みになるなと嘆息しながら、火神が思う。
まあ、そもそもこいつと出逢ってから、驚かされることばかりの連続だが。
いや、しかし今度のはちょっと毛色が違う。
(不感症だって? しかも、青峰のヤローに言われただって? ―つうことは、つまりその)
『不感症』というワードの意味するところを、ふと考える。
いや、考えるまでもなく、脳が勝手に動いて勝手な想像を次々と巡らせてしまう。男子高校生の脳は、こういう類の妄想にはやたらと活発に働くものなのだ。


まさか、こいつ。
青峰と。


脳内を過ぎったとんでもないエロシーンに、カッと赤くなる顔を火神が隠すように掌で覆ってテーブルに肘をつく。
いやいやいや、待て。有り得ないだろ。
女子ならともかく、こいつは男で、あいつも男で。
や、アメリカではあった。当然あった。だが、ここは日本だ。まさかそこまで進んでねえだろう。
たぶん、無い…筈だ。
とはいえ、思い当たる節はないでもない、いや、ないと言えない事もないというか。〈どっちだ〉
最初に会った時から、青峰の黒子に対する固執ぶりにはやや疑問を抱いていたのだ。
桐皇のバスケ部のマネージャーである桃井さつきが偵察がてら黒子に会いに来た時も、わざわざ単身で火神に挑みにやってきた。
その時の言いざまが、火神にはどうにも気にくわなかった。
完全上から目線なのにもイラっとしたが。
それ以上に。

黒子の、
――昔の『光』、だと。

正直あの時は、例えるならば、今付き合ってる女の昔の男がいきなり現れて、『テメエじゃあの女に似合わねえよ、つり合わねぇ』と水をさされた。そんな、最悪の気分だった。
『可哀想にな、テツも』
うるせえよ、畜生。
そっちこそ、テメエの勝手で黒子の手を離したくせによ。
今更現れて何抜かしてやがる。
その上、不感症だと?
上等じゃねえか。そんなのテメエのテクに問題があっただけってことだろ。
ろくに感じさせられもしねえくせに。
ざけんな、クソったれ!

「…火神君?」

バニラシェイクのストローを咥えながら、向かい合った前の席で不思議そうに黒子が見つめる。
「どうしたんですか。さっきから、ずっと黙ったままです」
「出るぞ」
「え。」
目前で1人百面相をしていたかと思えば、いきなり不機嫌な顔で席を立った火神に、首を傾げるように黒子がシェイクを片手に立ち上がる。
店を出て、行き交う車のライトに眩しげに手で遮り、背に追いついてきた黒子をちらりと見遣り、火神がゆっくりと歩き出す。
とはいえ、コンパスの違う2人は一緒に歩いていても、いつもどうしたって黒子の方が遅れがちになる。
後ろにいるだろうと思い、話しながら歩いていたら、振り返ったらいつのまにか姿が無かった、なんてこともしばしばだ。
もっとも、そんなことにも最近では随分と慣れた。
共にいる時間は、伊達ではないのだ。
クラスも一緒、席も前後、休み時間も部活も一緒で、部活後のマジバもこの頃は偶然ではなく、一緒に行くようになった。
〈1人で行っても気が付けば前にいるのだ。だったら、一緒に行った方が驚く手間が省けて良い〉
―それでも、中学の3年間にはまだまだ遠く及ばないが。
(…何を苛立ってんだ、俺は)
あれこれ悶々と考えても、埒が開かないのはわかっている。
黒子と青峰との間には、未だに火神が越えられない『何か』がある。潜んでいる。
不感症の件は、さておいても、だ。
「火神君。赤信号です」
「あぁ」
横断歩道を渡ろうとして、黒子に言われて目前の信号に気付いた。
そんな火神の後ろに立ち、大きな背を黒子が見上げる。
さっきから、気もそぞろ。かえってくる返事も生返事ばかりだ。
いったいどうしたんだろう。
首を傾げ、ふいに目の前にある火神の、脇のあたりをちらりと見た。
―手が動いたのは、ほぼ反射的な出来心だった。

「うぁおう!」

信号待ちをしているところで、後ろから突然両脇にえいと手を突っ込まれ、火神が思わず裏返った奇声を上げる。その原因が黒子と知るや、眉を吊り上げて猛然と振り返った。
「黒子!! テメェいきなり何しやがるっ! 車道に飛び出そうになっちまったじゃねえか、殺す気か!!」
「…あー。すみません」
「おい、なんだそのすっとぼけたリアクションは!」
「あ、青です」
変わった信号をのんびりと指差され、火神が仕方なく人の流れとともに歩き出す。
「けど。やっぱり、くすぐったいんですね。火神君でも」
「は? 火神君でもとはどういう意味だ」
「火神君も、てっきり不感症だと思っていたので」
「不っ…! テメエな、こんな大通りのど真ん中で何言って…!」
「違うんですね」
「いやお前、人を不感症呼ばわりしといて何で残念そうなんだよ! つーか、待て」
横断歩道を渡り切ったところで、火神がふと気付いて足を止めた。邪魔にならないように、黒子を連れて公園の入り口まで移動する。


おい、ちょっと待て。
不感症って。

…そっちの意味か?



…そういう意味、じゃねえのか?



そういえば、あまりの発言にすっかり話の前後を見失っていたが、よくよく考えてみれば、確かそんな話をしていたような気がする。
今日の部活後。
いったい何をやったか言ったかは知らないが、先輩の小金井が同じく2年の日向らに捕まって、『くすぐりの刑』を受けていた。
涙を流してげたげた笑う小金井の姿を思い出して、シェイクを飲みつつ、黒子がぼそりと言ったのだ。
「脇って、普通くすぐったいものなんですか?」
「は? そうだろ普通」
何気なく火神が答えた、そうだ、確かその直後だ。
黒子がしみじみ呟いたのは。
まるで重大な悩みを告白するが如く。
僕、不感症なんです、と――。
そして、その後に飛び出してきた青峰という名のせいで、すっかり考えが暴走してしまった。
つまりは、そういうことだ。
火神が、はあ…と、安堵のような疲れたような溜息を落とす。
(…まあ。どうでもいいけどよ)


紛らわしいだろ。
その表現は。


「おい。ちょっと腕上げてみろ」
「こうですか?」
言われるままに素直に万歳をする黒子を見下ろし、火神が疑い深く両の脇へと手を伸ばした。
試しに、実際くすぐってみる。

…なるほど。
おもしろいほど、無反応だ。

「まさにこれです」
「まあ…確かにな」
「青峰君にもつまらないと言われました」
「くすぐり甲斐がないってか?」
「はい」
あっそ。
そりゃそうだろうよ。
思いながら、くるりと向きを変え、火神がとっとと歩き出す。
何だかむしょうに馬鹿馬鹿しくなってきた。
中学時代の青峰が黒子をくすぐってみて、『んだよテツ、ちっとはくすぐったがれよ、つまんねーだろ』などと仲睦まじくやってた姿を想像して、ますます心底むっとする。
どうも他のキセキの面々とは違い、青峰に対してだけはバスケ以外でも気に食わないと思う所が多々あるが。
余程相性が悪いのだろう。
(…あのヤロー、考えただけでムカつくぜ。黒子にいちいちちょっかいかけやがってよ…!)
何に苛立っているのかはまったく無自覚に、火神が心中で毒付く。
そして駅に向かってさらに歩くスピードを上げかけ、唐突に立ち止まった。
降旗に、黒子に言っといてと伝言を頼まれていたことを、今になって思い出したのだ。
「―あ。やべぇ」
「どうしたんですか、火神君」
いつのまにか隣に来ていた黒子に、相変わらず”うおっ”と驚きながらも、火神が悪りぃ忘れてたと前置きする。
「あー。降旗のやつがよ。明日の放課後、図書委…」
言いかけたところで、派手なクラクションを鳴らし、数台連なった車が横を通り過ぎていく。
「え」
「いや、だからよ。図書委員会があるから」
が、再びパッパーーッ!とクラクションが鳴り響き、さらに数台の車がカーステレオから流れるロックを最大ボリュームにして走り去っていく。
「あぁ、くそ、うるせえ!」
「聞こえません、火神君。もっと大きな声で言ってください」
「だーかーら!」
次いで、前の車停まりなさいと声を上げながら、パトカー数台が赤いフラッシャーを廻して通り過ぎる。
仕方ねえなと火神が上体を倒し、身長差のある黒子に耳元へと唇を近づけた。
「…っ」
「…は?」
大きな瞳をさらに見開いて、いきなりぱっと耳を押さえた黒子に、それを見下ろして火神もまた驚いた顔になる。
サイレンの音が遠ざかっていく。
それを聞きながら、火神がふいににやりと嗤った。
絵に描いたような、人の悪い笑みだ。
指で、ちょいちょいと黒子を招く。
「黒子、ちょい来い」
「そんな2号みたいに呼ばないでください」
「もうちょい、こっち」
「な、何ですか。ちょ…っ」
先程と同じように、火神が黒子の耳元へと唇を寄せる。
「…ッ」
「へえー」
反応はさっき以上に顕著だった。
黒子が慌てて耳を押さえる。
ますます火神の顔が愉しげになった。まるで悪戯を思いついた子供のようだ。
「もっかい」
「嫌です。ちょ、離してください火神君」
耳をガードしようとする手を無理矢理掴んで引き剥がし、今度はさらに意図的に耳腔めがけて息を吹き込む。びくりと黒子の両肩が跳ねた。
「…っ、か、火神君」
「耳、真っ赤だぜ?」
片腕を掴まれ、睨むように見上げてくる黒子を見下ろし、くすくす笑いながら再び耳元で火神が囁く。


「良かったな、黒子。不感症じゃねえよ、お前」


「…ッ」
びくんと片目を瞑る黒子を引き寄せ、さらに接近する。が、そこまでだった。
あっという間に反撃された。
「どぉわぁあっ!」
隙だらけの脇をくすぐられ、火神が思わず叫んで身を退ける。
「てっめえ…」
「やられっぱなしは性に合いません」
「ああ、そうだよな。そういうヤツだよなお前って」
顔に似合わず、負けず嫌い。
だが。
そういうところも、多分気に入っている。
臨戦体勢を取る黒子に、火神がまるで1on1を挑むかの如く、腰を落とす。口角を愉しげに持ち上げる。
「よーし、行くぜ。黒子」
「どこからでもどうぞ」
派手なはしゃぎ声を上げながら〈主に火神〉、まるで子供のように夜の歩道で戯れる男子高校生2人を、道行く帰宅途中の人々がやれやれと呆れながら、それでも微笑ましげに通り過ぎる。
「黒子っ、テメッ、こんな時までミスディレクション使うな!」
「いやです。火神君相手なら、僕はいつだって本気でいきます」
「言ってくれるじゃねえか」
こんな遊び一つとっても、本気(マジ)モードとは喜ばしい。
素早く手を伸ばし、しなやかな腕を捕まえ引き寄せれば、もう一方の黒子の手が隙をついて伸びてくる。
それも封じてやれとばかり、細い手首を無理矢理掴んで、強引に腕の中に閉じ込めた。
そうして、既に赤くなっているやわらかそうな耳朶に唇を寄せ、かぷりと甘咬みする。
「…ぁ!」
肩が跳ね、今度は微かに可愛いらしい声が漏らされた。
「―感度良好」
「って、何がそんなに嬉しいんですか、バカですかっ」
「うるせえよ」
微かに染まる頬を隠すように俯いて、火神の腕の中でじたばたと黒子が藻掻く。
それを抱き寄せるようにしながら、喜色が湧き起こる胸で、火神が思った。
(ああ、今度会ったら、青峰に教えてやらねえとな―)



こいつ。
ぜんぜん不感症じゃねえぜ?


つってよ。


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宣戦布告をどうぞ(火黒)

『誠凛高校、タイムアウトです』


「あぁ、くっそ…!」
頭にタオルを引っ掛け、椅子にどかっと腰を下ろした火神の肩は、苛立ちでいかり上がっていた。
目つきの悪さにも、いつもにも増して磨きがかかっている。
とはいえ、WC都予選ベスト4決定戦第4試合は、木吉の参戦もあって、誠凛の大幅リードのまま進んでいた。
が、にも関わらず、執拗なダブルチームに阻まれて、火神はまったく動けず仕舞いだ。
シュートを放つどころか、ここまでまったくと言っていいほど活躍出来ず。良いとこなしも甚だしい。
『火神君がDFをひきつけてくれてるから、先輩たちが攻めやすくなってチームはリードしてるんです』と、黒子には諭された。
わかっている。確かにその通りだと思う。
(つってもよ、力が有り余ってしようがねえ! その上、あいつのパスも、ちっともこっちに回ってきやしねえし)
マークが外れない以上、当然黒子のパスは火神をまるで素通りするかのように、木吉や日向や伊月に回される。
それが何ともいえず、腹立たしい。
もっと言えば、気にくわない。
だからどうしろと言うものでもないが、火神の苛立ちに拍車をかけていることは事実だ。
「火神ー、相変わらず顔コワイぜ? ま、目つき悪いのは生まれつきだから仕方ないけどな」
木吉の冗談も、今は相手をする気にすらならない。苛立ちは、どうにもおさまりそうにない。
「はあ~……」
溜息というには荒すぎる息をついて上体を倒せば、ふいにその足元に、バスケ選手としてはかなりサイズの小さいバッシュが目に入った。
いつの間にこんなに接近してやがったんだと思いながら、顔を上げる。
「…黒子」
「そこ、いいですか?」
「あ? あぁ…」
問われ、目の前に立つ黒子に火神が頷く。
黒子が火神の隣に腰かけることは、よくあることだ。わざわざ確認されるまでもない。チーム内でも今や1セット扱いだ。
「って、ちょっ、テメっ…!」
が、次の瞬間。火神の口をついて出たのは、突拍子もなく裏返った声だった。
何事かと振り返ったチームの全員が、火神以上の変な叫びを上げて思いきりのけぞる。
「おおい、黒子に火神! おおお前ら、な、何やって…!」
「いやそのキャプテン、俺はその」
大口をあんぐり開けた日向に何やってんだ!!と指差され、火神がいやいやと片手をひらひらさせる。
弁解のつもりらしいが、状況が状況なのでまったく説得力がない。
ひとまず現状から察するに、黒子の言った【そこ】とは、どうやら隣の席のことではなかったらしい。
火神がそれに気がついた時には、黒子の胸の11番は、既に火神の鼻先に迫っていた。
「おい、待て黒子!」
「どうかしましたか?」
「どうかしましたか、じゃねえよ! なんでお前、俺の上に坐ってるんだよ!」
「一応、聞きました」
「膝に坐るとか言ってねえし!!」
「そこって言いました」
「さっきは指差さなかっただろ! いやそういう話じゃなくてよ」
怒鳴りかけた言葉が、火神の上に横坐りになった体勢で『ふう…』と吐き出された黒子の嘆息に不意に勢いを無くした。
何だ。様子が変だ。
不機嫌というか、微かに苛立っているように見える横顔。
「…なんだよ、どうしたお前」
さっきは冷静に、火神のイライラを『いい加減にしてください』とにべもなく叱責したくせに。
その青色吐息は何なんだよ、と火神がいぶかしむように眉根を寄せる。
「苛立ってるのは、火神君だけじゃないんです」
どことなく悔しげな目で言われ、火神の眉間の皺がますます深くなる。
「はあ? つか、答えになってねえ」
「火神君にパスが回せません」
「だから、それは」
「それなりに、僕もストレスです」
そういう黒子の顔を、やや見上げる形になって火神が凝視する。表情に現れ難い黒子の真意を探るように、横顔を見つめた。
「だから、何だよ」
「火神君が足りません」
「あぁ?」
「ちょっと補充させてください」
「いや、意味わからねえけど」
「いいんです、勝手に補充します。放置の方向でお願いします」
どういう事だよと問いかけた火神の言葉が、驚愕のあまり、そこで途切れた。
両肩に黒子の手が差し伸べられ、自然と重心が傾いてくる。しがみつかれているような体勢になって、火神が瞠目した。
体育館の天井のライトがやけにチカチカして見える。
「おい…」
密着し過ぎて、黒子の表情はまったく見ることは出来ないが、重なった布越しの胸の下からは、やけに速い心臓の鼓動が伝わってきた。
気のせいか、場内がひどくどよめいているような気がするが、正直なところ、そんなものまったく耳に入ってこない。

それどころじゃねえ。
何だ、これ。
耳の傍で、黒子の微かな息遣いがする。
とくんとくん…と、テンポの速いリズムを刻むのは黒子か、はたまた自分の心臓の音なのか。
ほのかな体臭。上昇した体温。汗ばんだ肌。膝の上にある重み。少し身体を動かすだけで、筋肉の動きがダイレクトに伝わってくる。どきりとした。
(……なんか、こいつ妙に……エロくねえか…?)
耳の後ろから首筋にかけて、汗が一筋伝い流れ落ちてくる。目前のそれを凝視していると、何ともいえず妙な気分になってくる。
だがしかし。
いやいや、待て。
黒子にそんなん感じてる場合か、つか今、試合中だし!
火神が、脳内で自分を戒める。
もっとも、おかげで苛立ちはすっかりどこかに行ってしまった。霧散した。
「…よう」
「なんですか」
「こんなので補充できてるのか?」
「できてます。自分でも不思議です。こうしていると落ち着きます」
「…へえ、そうかよ」
こっちはそれどころじゃねえってのに。
落ちついてる場合かよ。こいつ。
マイペース過ぎるだろ。
が、そう思えば何だか可笑しくもなってくる。
土台、そんなことを考える余裕があるということは、それなりに頭が冷えてきたということなんだろう。
心と身体がほぐれて良い感じのような気がする。後半、行けそうだ。
「おい。つーか黒子。テメェばっかり狡いだろ」
「…火神君?」
「俺にもさせろ」
―補充をよ。
言うが早いか、火神が黒子の背に両腕を回す。薄い背を抱き締め返すように引き寄せれば、微かに黒子の身体がぴくりと揺れた。
構わず、まるで獣のように、高い鼻梁を黒子の首筋へとこすりつける。
「火神君、くすぐったいです」
「うるせえよ」
目前の白い肌に、いっそキスでもしてやろうかと目論むが、今はやめておく。
ただでさえも外野がうるさい。
その上ここにきてやっと、相田リコの三角に釣り上がった目と頭から湯気を出して怒り狂っている姿も目に入った。



『タイムアウト、終了です』


水を差すようなアナウンスが流れ、火神が名残惜しそうに黒子の背から腕を下ろす。
「ちょっとあんたたち、いつまでやってんの! 行くわよ!」
リコの怒号に、黒子が火神の膝をするりと降りる。
「カントク。顔が赤いです」
「うるさいっ、誰のせいだと思ってんの!! これで使いものになんなかったら、あんたたち、すぐ交代させるからね!!」
「うぃっす!」
応え、火神が意気揚々と立ち上がる。長身が黒子の隣に並んだ。いつもの顔で黒子が見上げる。
「行きましょう」
「おう!」
「頭、冷えましたか?」
「…頭はな」
「えっ?」
きょとんとする黒子を見下ろし、誰のせいだよと胸で毒づきながらも、腕をぐるりと廻して火神が口角を持ち上げる。絶好調の時の顔だ。黒子の目がすうっと細められる。小さく微笑んだ。
「そういえば、気付いてました? 桐皇の選手が見に来ています」
会場内の一角を黒子が指差す。桐皇と聞いて、火神の顔色が変わった。
「つまり、今日の試合内容は青峰くんにも伝わるはずです」
青峰、という名に、ますます火神の横顔に凄みが増す。それを頼もしげに黒子が見上げた。

「とゆうわけで。頭が冷えたら、宣戦布告お願いします」

強気な発言に、火神がにやりと笑む。
望むところだ。
「おーし、任せろ、たたきつけてやる…!」
言うが早いか、見覚えのある面々が連なる席を差し、猛然と火神が吠えた。



『いいか、黒子は俺のだからよ!! 青峰なんかにゃ絶対渡さねえぇ!! テメエら全員首洗って待っていやがれ――!!』



「……あ。いえ、その。そういう宣戦布告では……」
若干趣旨が違うような。
というか、後半のがメインのはずが、完全におまけになってるけど。
…ま、いいか。
困ったように黒子が眉を寄せ、火神の腕を引いた。
わかりにくいが、これでも相当照れている。
「火神君。恥ずかしいです」
ぼそりと告げて、先に行きますとコートに走って行く黒子の白い頬が、うっすらと微かに赤らんで口元が緩んでいたのを、監督であるリコは見逃さなかった。
「ったく、あのバカガミ…! 後で思いきりシメてやるから!」
とはいえ。
タイムアウトに入る前と後では、驚くほど火神の顔付きと落ち着きが違う。
あれこそ、エースの顔だ。あれならいける。
終盤もダブルチームで火神の動きを抑えに来るだろうが、火神がそれを突破するのは既に時間の問題だ。リコが確信する。
黒子効果、絶大。
ま。いいか。これはこれで。
チームのためになるなら(なるのか?)いっそ何でも有りだ。
桐皇席でぎりぎりと歯ぎしりをしているであろう巨乳娘を想像して、リコがほくそ笑む。

「よっしゃ黒子。リベンジかますぜ!」
「はい!」
黒子の小さな拳とコツンと拳を合わせると、火神大我は相手チームを睨みつけ、不敵に笑った。




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